2010年12月17日金曜日

冬休みのお知らせ

本日12月17日より来年1月11日まで帰省にて当ブログお休みさせていただきます。また関西の情報を仕入れてきてここでご紹介できたらいいなぁって思います。初めて見るNEW羽田空港、どんなかな。

2010年12月14日火曜日

毎朝の話

週の半分は朝こういう表情をしている娘と闘っています。この青いジャージ上下は娘の美意識をかなり逆撫でしていることもあり。まもなく冬休みですね。

2010年12月13日月曜日

追試の話2 地獄で仏?

やがてその先生が去り入れ替わりに進行係の教師が入ってきます。
「ということでみんなよくわかったな?」
と言いました。(全員反応なし・・・どよ~んとしています。もちろん私もそうです)
「さてこれから各科目ごとに分かれて担当の先生の指示にしたがってもらう」
 そうして私は指定の化学教室に行きました。すると生徒は私だけでした。ええ~っ。1クラス分生徒がいたのに化学は私だけ?みんな案外化学得意なんだなあ、と驚きました。
しかしあの大嫌いな化学マン(担当教師)が来るのかと思っていたら意外にも穏やかそうな受け持ってもらったことのない先生が入ってきました。(自分が落第させた生徒を、他の先生に任せるとはあきれた無責任だと思いつつまあ本人が来るよりずっといいと矛盾した気分。)
その先生は苦笑いしながら私に聞きました。
「Nは化学嫌いなんか?」
いまさらな質問です
「好きだったらここにいませんって」
「そうかぁ。」
「まあ、そうですね」
なんか妙な空気が漂っていましたが私はこの穏やかな問いかけになんとなくほっとしていました。
どんな会話がそれに続いたのかもう覚えていませんが先生がこういったのを覚えています。
「ほなもう勉強せんでいいわ。そのかわり好きな科目は特にがんばるんやぞ」
ええ?この言葉に驚きました。あらためて説教タイムだと思っていたからです。
そうしてこの先生は追試で出す問題をそのまま私にくれました。
「答えもやるから暗記しとけ、内緒やぞ」

後日の追試で私はそれでも満点ではなく92点で合格するのです。でも担任の教師に職員室に呼ばれました。
「一番いい点で合格したぞ。やったらできるやないか。」
「・・・・・・」

2010年12月12日日曜日

追試の話1 キライな科目を勉強しないでいたら・・・

みんなが「ああ今学年も終った~」と午前中で下校した午後、コタツでみかんでも食べているであろう頃、そのイヤアな電話の音がなるのです。ああ!近所のおばさんからの母親あてのいつもの電話であってほしいと願いつつドキドキしながらその受話器を持ち上げるのです。したら体育会系担任のガラガラした声がしました。あああ~。「N(私の旧姓)おまえ追試やぞ」。いやな予感と言うのはたいてい当たるのです。「すぐ来い!」。どうせなら下校前に進級の可否を教えてくれていたら早々に観念でき、緊迫の時間もすごさなくてすむし、もう一回交通費はらって高校に絶望的登校をしなくてもいいのに強制出頭させられます。このあたり成績はとっくに決まってるのに教師側のいじめかと思います。出頭後は大声自慢のやたら気の強い教師が居る教室に追試の生徒が集められていました。みなそれぞれ科目は違うものの同じ穴もむじな。屈折した一体感がどよ~んと漂っています。
「おまえらはなんでここまできた~っ?」
昔昔の教師の雷ぶりです。机がぶるぶる振動するぐらいの大きな怒鳴り声。まあたいがいな雷を落とされるのです。この先生は怒り係です。実際の雷にうたれた方が精神衛生上いいな、あれは。で、一人ずつ反省を言わされます。
「来年はちゃんとしたいと思います」
としかみんないいません。そしたら
「思います、とちゃうやろぅ?必死でやりますって言え~っ」
と言われます。やあ~できるかできないかわからないから思いますって言っちゃうんだよね。

2010年12月11日土曜日

同じ夢に苦しむ話

最近朝目覚めて「ああ~ゆめだった。よかった、よかった」と喜んでまたその夜、就寝するとその続きがあり「やっぱりそれは夢でく現実だった」と夢の中で苦しみ、また朝起きて「ああ夢だった、よかった」と喜んで、またその夜続きの夢をみて「やっぱり現実だった」と嘆く。こういう事をここのところ3往復ほどしています。
その夢と言うのは数学に苦しむ夢です。この年になってね。私は若いときに戻りたいとは二度と思わない第一の原因が理数系をもう一回しなきゃいけないということです。どんなにぴちぴちの女の子に戻れようともこれからさっさと年をとりたいのら。なにがおもしろうてあんなもの勉強しなきゃいけないのか私にはちっともわかりません。実際、高校の時は進級ができるかできないかというほどに追い詰められました。そのトラウマが今頃に!?通知簿は10点中いつも1か2、よくて3。一番いいときで5、それも一回だけの栄光です。でも以外に追試を受けることになったのは化学だったんですけどね。余談。

2010年12月10日金曜日

町中の ん#7


でんでらりゅーば! 長崎駅のコインロッカー

2010年12月9日木曜日

柿星人

色紙で服も作りたかったんですけどね。まあいずれ。

2010年12月8日水曜日

ある年のクリスマス IN ハウステンボス


建物に投影される美しい模様

中世的な雰囲気

歌あり踊りあり・・・塔が優しくそれを見下ろしていました↓
 

大きなツリーはみんなの中心

そしてここでは年中毎夜打ち上げられる花火・・↓


ディズニーもいいけど私はハウステンボス大好き。
一度行ってみてください。

2010年12月7日火曜日

お楽しみ会

娘の幼稚園には年一回、この季節にお楽しみ会があります。実はクリスマス会なんですけど神道の幼稚園につきサンタクロースが登場しても表向き「お楽しみ会」という名称です。

2010年12月5日日曜日

夜な夜な話6 赤いろうそくと人魚 後編

娘が連れて行かれた夜、ろうそく店の戸をトントンと叩く音がしました。
「こんな夜更けにだれだろう」おばあさんは気味悪がって最初は戸を開けなかったのですが何度も何度も音がするのでとうとう出てみました。そこには女の人が立っていました。
「ろうそくをいただけませんか?」
おばあさんは不思議に思いながらも娘がおいていった赤いろうそくを渡しました。女の人はそれを受け取るとお金を払いました。しかし月明かりの下、おばあさんが見てみるとその人の長い髪の毛はびしょびょしょに濡れていました。ふと手のひらのお金をみてみるとそれはただの貝殻でした。
「だまされた」
お金のことばかり考えるようになっていたおばあさんは慌てて後を追いかけようと外にでましたが、もうその女の人の姿はどこにもみえませんでした。
その夜、赤いろうそくが山の神社にお供えされました。するとどうでしょう、今まで穏やかだった海が今までにないほどに荒れ狂いました。おじいさんもおばあさんも「この嵐ではあの子も無事ではあるまい」
と話しました。その夜、海で命を落とした者は数知れません。
 それから不吉な噂が流れるようになりました。山に赤いろうそくがともる夜は必ず嵐になって海に出た者は命を落とす、と。やがて海の守り神としてあれほどたくさんの人にお参りされてきたこの神社が急に不吉な神社だといわれるようになりました。嵐の夜、必ず神社には赤いろうそくが灯っているということです。これにより誰もこの神社にお参りしなくなりました。ろうそくも全く売れなくなりおじいさんとおばあさんは商売をやめてしまいました。これだけではありません、神社だけでなく町全体が不吉な町だと言われて
とうとう神社も町もなくなり、人もいなくなってしまいました。
 

2010年12月4日土曜日

おもちつき

今日は土曜日にもかかわらず同じ時間帯で幼稚園がありました。年に一度のおもちつきです。娘1は珍しく前の日の昼間から自分でお茶碗やお箸をリュックにいれていました。雪でもふるんじゃないかな?やる気マンマン。去年はインフルエンザの大流行で一週間閉園し代替日も設けられなかったので、おもちつきはありませんでした。それだけにとても楽しみなようでした。親も見学にいきたいところなのですが関係者以外立ち入り禁止です。私も杵でお餅をついているところ見てみたいのになあ。私の幼稚園ではおもちつきはありませんでした。私の住む町では自治会でもやってくれます。つきたての杵つきのお餅は本当に一味ちがいますね。

2010年12月3日金曜日

夜な夜な話6 赤いろうそくと人魚 前編

 人魚は南の温暖な海でのんびり暮らしている者ばかりではありません。
 昔、北方の冷たく暗い海に身重の人魚がおりました。その人魚はいつも寂しくおもっておりました。自分達は半分は人間なのに人間としては扱われたことはなく、いつも魚や獣と同様に考えられている。そう常々嘆いておりました。そして決意しました。一緒に暮らせないのはつらいけど、これから生まれてくるこの子は私のような寂しい一生を送らず、人間と暮らし、人間として生きてほしい。
 ある夜、人魚は海から上がって女の子を出産し鳥居の脇に置いて行きました。
人間は動物なんかとは違い気持ちが優しくとてもすばらしいと聞いている。この子は人間と幸せに暮らせますように。
 神様が祀られている山のふもとでろうそく店を営んでいるおじいさんとおばあさんがいました。夫婦には子どもがいませんでした。ある日おばあさんが神様にお参りに行って戻ってきたとき鳥居のところに赤ん坊がすてられていることに気がつきました。
「おや、お参りの帰りにこの子にあうなんて。これは神様が子どものいない私たちにお授けになってくださったに違いない」
と二人は大切にこの子を育てました。
 女の子はすくすく成長しそれはそれは美しいりこうな子どもに育ちました。そして誰に教えられたわけでもないのにろうそくに美しい絵を描くようになりました。絵を描いたろうそくはたちまち評判になりました。それだけではありません、その絵付けされたろうそくを山の上の神様にお供えし、その燃え残りのろうそくを身に着けて海に出たらどんな嵐でも命をおとさずに戻って来れる、と噂されるようになりました。海難から身を守ってくれる霊験あらたかな神様として遠くの村まで聞こえるようになりました。そして続々と漁にたずさわる人々がやって来るようになり、ろうそく店はとてもいそがしくなりました。
 娘は自分が人魚であることを大変恥ずかしく思い人前にほとんど姿を現すことはありませんでした。しかし何かの拍子にその姿を見た者は皆その美しさに驚くのでした。
 ある日南方から香具師(やし)がやって来てました。娘の事をどこで聞いたかたまたま見かけたのかわかりませんがとにかく人魚を南方の人々に見せたいから売ってほしいと何度も頼みました。二人は
「神様が授けてくださった子どもだから売るつもりはない」
と断りました。しかし一度や二度断られたぐらいであきらめる香具師ではありませんでした。やがては
「人魚は不吉で一緒にいるとこれからどんな災難がふりかかるかわからない」
などと嘘をいいました。最初は頑なだったおじいさんとおばあさんもとうとうその言葉を信じてしまい、そしてお金にも目がくらんでしまいました。
 やがて香具師は檻を荷車につんで女の子を連れに来ました。人間として生きてほしいという母親の願いもむなしくその檻はかつて動物や獣を運んだものと同じでした。
「おじいさんおばあさんおねがいです。私は知らない南に行くのはこわいです。どうかこれからも一生懸命ろうそくに絵を描きますから、私を売らないで下さい」と泣いて願いました。しかしもうそのころにはすっかりお金に目がくらんでしまったおじいさんとおばあさんは「さあ、さっさと行くんだよ」と娘の手を強く引っ張りました。
 娘は連れ出される間際までろうそくに絵を描いて抵抗していたのですが最後にろうそくを数本真っ赤に塗り、悲しい気持ちの表れとしておいて行きました。    後半へ続く

2010年12月2日木曜日

かわいそうな話がダメ

 先日、図書館で「赤いろうそくと人魚」を借りてきました。それは絵も素敵だったので娘1に読んであげましたところ、途中で「もうやめて~」と叫び布団をかぶってしばらく出てきませんでした。ろうそく店でろうそくに絵をかいていた人魚の女の子が、お金に心奪われた養父母により遠方から来た香具師(やし)に売られてしまう場面で。・・私の演技も迫真すぎたのかもしれません。
 また、こちらの地域では現在、「ペリーヌ物語」(アニメ)を再放送していて、私が見たくて毎回録画してみているのですけど行き倒れ寸前になりつつ目的地までむかう、苦難の道が何話にも亘るのですけど最近もう「見ない」といい、録画一切を残さないよう言われました。もうペリーヌはマルクールに着いて衣食住を得たんだけどな。ゆくゆく大きな紡績会社の後を継ぐサクセスストーリーなんですけど。
 そういえば私も子どもの頃かわいそうな話はダメでした。だから強要はしません。やっぱり似てるなあ親子だからかなあと思います。感性は次女より長女の方があきらかに私に似ています。今のところはね。
 

2010年12月1日水曜日

銀杏のバラ

こうして集めて束ねて置いて置くだけでもかわいいですよ。