今日は父方の祖母の誕生日でした。まあなんですね、この祖母だけ誕生日も命日も覚えているのです。祖母は90を手前に十余年前に亡くなったのですが、へんな女性でした。多分私が同年代に生まれていても友人にはなってないと思います。小柄で美人でした。顔だけは似たかったなあ。職場の人と並んだ写真を見たことがあるけど明らかに周りの人とくらべ美人でした。幼少のころの記憶ばかりあります。私が物ごころついたときはすでに70歳を超えていたのに口紅の色は真っ赤でテラテラした派手なワンピースばかり着ていました。ファンデーションは違和感ある白塗り、ベレー帽をかぶりおでこに1個だけカールした小さな髪の束を出していました。私の記憶に濃い理由は何より聞かされる話がどれもこれも小学校にあがるかあがらないかの私にとてもおどろおどろしい内容だったからです。夫の浮気を目撃したときの話、実父が外地で重婚しようとした時の修羅場、里子に出された先でのさまざまな苦労、大晦日の交通事故、職場の人間関係等々、これらの話は話し飽きることがなかったようでローテーションしていました。私は聞き慣れてしまってたように思います。私が生まれたとき、既に還暦を越えてたのですから墓場にもっていくべき話のひとつやふたつ、祖母に限らずあると思うのですがそれを幼い孫に延々聞かせる感覚ってどんなもんだったのだろう。今なお不思議でしかたありません。さて、なんでこんなことを書く気になったのかというと
「みよ※ちゃん、おばあちゃんの話を大きなったら小説に書いてくれる?」
祖母は気がすむまでじゃべり終えるといつもこの一言で締めくくっていたからです。残念ながら祖母の望む小説家にはなならなかった代わりにこちらに書いておきます。実は最近ブログネタもとぼしいわけで。最後にもう一つ。これら話は私と同イ年の従姉も聞かされていたようで「絶対誰にも言うたらあかんで」という約束付きだったのも一緒。
※私の名前が気に入らなかったのか発音しづらかったのか祖母はこう呼んでいました。
ブログじまい
5 年前
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