2009年8月31日月曜日

一日千秋!

よく「夏休みは大変~」と巷のお母さん達の声をきいて
いましたがここまできついとは思いません、はよ幼稚園始まってくれ~っ
娘の通う幼稚園はどこよりも始業式が遅い!9月7日からです。
さらに通常保育が始まるのはそこからもうちょっと先
およその幼稚園は明日からだというのになんでぇ?
娘との毎日はきつすぎて、目下胃痛に苦しんでいます。
もうあかんっ・・・

2009年8月30日日曜日

初盆

8月1日
主人の実家で去年なくなったおばあちゃんの初盆が
行われました。禅宗のお盆ではこんなかわいい
お膳が仏様にお供えされるようです。
塗りの膳はもともとのご先祖様
白木の膳は今回の主役、おばあちゃんのもの。

2009年8月29日土曜日

明石・玉子焼


明石に着いたら海の方向へGO。
明石きっての鮮魚市場「魚の棚」
アーケードの照明も
名物「たこ」がモチーフ







 
7月8月はタコのシーズン。今年も豊漁だったとか
旅先にて生タコショッピングは無理という人

玉子焼などいかが?明石で玉子焼といえばこれ↓
  
大阪のたこ焼とは違うのです。
卵分が高くてポヨポヨしています。繊細なかつおダシでいただきましょう。

2009年8月28日金曜日

一足のばして

三宮・元町・神戸、JRの切符を
そこから明石まで買い足してみてください。
左窓際に立っていると
須磨を越えたあたりから
こんな海の景色が続きます。
淡路島も大橋も見えます。
これで充分観光なり。

2009年8月27日木曜日

根性かぼちゃの花

見慣れない緑の芽がベランダの排水口で育っていました。
すこしのハキダメを栄養にして。
?はてこれは何かいな。植木鉢にうつしてしばらく育てていると
こんな花が咲きました。
答えは「かぼちゃ」でした。
そういえば~捨てずにとっておいた
かぼちゃの種を
ベランダで干していたことがありました。
その種が一粒飛んだようです。



なぜベランダでかぼちゃの種を干してたかって?この子のエサのため。
↓1才半:キンクマ・ハムスター「クリリ」と申します。

2009年8月26日水曜日

神戸イスラム教寺院

う~ん、写真がよくないけど神戸イスラム教寺院です。
元町の山側にあります。北野のはずれ。
 
寺院前の道が狭いから全貌が入りきりません。
カメラの設定を変え忘れて真っ白だったり。
 
久しぶりに入ってみました。入れるんですよ。
豪華なシャンデリア。メッカの方向は↑こんな風になってます。


さっき
結婚式が終わったばかりだと
この子たちが教えてくれました。
もうちょっと早く来たら
見られたのかな?

2009年8月25日火曜日

知人紹介:ガラス作家・山崎まどか

「もし私の帰省中に個展があれば是非連絡してね、
ってまあそんな都合よく開催しないよね」
なんて手紙を彼女に送って忘れてた頃
「都合よく作品展ありますよ」というメールが届きました。














8月14日私が「Cafe Sallow」を訪れることになったのは
そんな理由から。サロウは柳という意味です。
なんとまあ!この黒尽くしのお店と出会ったのも何かの縁ね。
兵庫県庁前少し上ル。中山手通少し上ル。
(紛らわしくなるといけない、特筆しておくのは
この↑窓ガラスも素敵だけど今回の展示作品の範囲ではありません。)

 




←以前「この作品ポシャギっぽいね」
と送ったら
「その通りです」返ってきました。
私の好きな作品です。
(ポシャギっていうのは韓国
に古くから伝わるパッチワーク)






















↑これは、また別の作品を通して見たこのお店の窓。

写真左:知人本人
(フリーで活動中、
神戸市垂水区の自宅が工房)
写真右:お店の人(オーナー)


 

←カメルーンでは
象にかぶせるんですって。
駝鳥の羽で作られています。



と、ここまでアップしてネタ切れ。
もっと写真をとっておけばよかった。
撮ったつもりだったのにな。
でも私があんまり詳しく書くよりも
全てはみなさんの一見にしかず。
作品も人もお店もね。

※作品展は2009・8・1~31※

2009年8月24日月曜日

ベンってねずみなんだよ

この名曲にある「ベン」ってねずみ。
それもドブねずみ。そのベンと、ある孤独な少年が友達になります。
少年はベンにハーモニカでこの曲を吹いてあげます。
くるくる回りハーモニカを吹く少年が印象的でした。
ベンの仲間は何万匹もいて!ある日駆除の魔の手が伸びます。
少年は必死にベン達を助けようとします。でもベンは・・・

あれは私が中学だったか高校だったか、
サンテレビ(神戸のみのチャンネル)が黄ばんだ画像を
映していました。
このしょうもない映画をとうとう最後までみてしまったのは
この曲ただ一つがため。
メロディーはいつまでも私の頭に残り
カラオケで何回か挑戦し、とうとう歌えずじまいです。
YOUTUBEでこんな親切な画像を見つけたことだし
また練習してみようかな。
ちなみにこの歌の主がマイケルジャクソンと知ったのは
つい3年ほど前のツタヤにて!(遅すぎるわッ、それが私)

しかしドブネズミを友達にするほどの少年の孤独とは
どんなものだったのか、今ならそういう視線で見てみたい。
・・・ってわざわざ見ませんけどね。

2009年8月23日日曜日

熱海風景

熱海駅に降り立ったことがありますか?  さすが温泉地、駅前に足湯。
 
一つの山があるとして駅は中腹にある、みたいな地形です。
 
駅のどこから下っても海に出ます。わぁ、なんか海外っぽい。
  



                           この木なんの木~お宮の松。
 
      おぅ、金色夜叉          海へ・・ガウディ風渡り廊下         
                  
  
海からちょっと入るととても静かな温泉街。
   
ある旅館の万人向けサービス。         
(90度!ちゃんと読もう!)

  
駅前商店街も坂道。    ふかしたて温泉饅頭はあちこちで楽しめます。

 
商店街の麺処にて。やはり金色夜叉。&黒ダシうどん。

車なら海岸線が素敵。
駐車場少な目なので
タイミングがよいことを祈りつつ
まいりましょう。
シーズン中のことですけどね。

2009年8月22日土曜日

歩き遍路

四国八十八ヵ所を歩き遍路している知人から
「今日は8km歩いて薬王寺をめざします」とそれだけの携帯メールがありました。
「歩き遍路」とは変わった表現だと感じられる方もいらっしゃるかも
しれませんね。遍路とはもともと歩いてするものなのでは?

さて、私がこのお参りツアーの添乗員をすることになった初回は
「えええええ~っ?」とびっくりすることばかりでした。実務もさることながら
大型観光バスをお寺に横付けしてのお参り。納経も添乗員が代行。
お客さん全員に大願があるようにはどうしたってみえません。
車内から急に外に出てめんどくさそうな人もちらほら。

「今後この仕事は断わりたいわ、遊び半分のお参りの片棒担ぐようで嫌やし」
経験を積んだ同行の添乗員にそうこぼすと「体の不自由な人も経済的にも難しかった人もお参りできる時代になったと思えばいい。それに遊び半分に見えてるだけでそれなりに悩みがあって参加してる人もいる・・・」みたいな熱弁がしばらく続きました。
この添乗員は同僚なのになんでか八十八ヶ所ツアーばかり担当していて四国に関しては先輩風ふかせたい気満々。内心「わあ、また始まった熱弁」と思ったのですが「へ理屈つけて早々に根をあげた」と思われるのもまた不本意。お寺見るの嫌いじゃないしまあいいか、どうしても嫌と思うまでは続けてみよう程度の気持ちで以後の同仕事を入るままに続けていました。
「なんでもできる添乗員」の方が結果いい仕事もらったりしますからその辺の打算もありました。(あ、誰より私が罰当たりか?)

こうして私は何度も八十八ヵ所の添乗をすることになります。
そのうちミイラ取りがミイラ、というのもダメだな、好き好んで「四国通い」をしている自分がおりました。それは四国、あの島の不思議な魅力、また様々な人達との出会い。これに尽きるでしょう。

さて、バス遍路を経験した人が「今度はあるいてお参りしたい」と思うのも自然な流れで、
本来の姿に沿った「歩き遍路」ツアーは静かな広がりを見せています。私の知る限り1社だけだったのに現在複数の会社が企画しているようです。

知人は・・・仮にオウさん&コウさんとしておきましょう。
私がたまたま添乗する北海道ツアーに参加されていた元お客さんなのですが今日はプライベートで大変助けられています。コウさんは大阪在住でなかなか会えなくなりましたが、オウさんは偶然にも平塚からほどない秦野に住んでいて育児でヘトヘトの私を時折訪れて励ましてくださいます。

コウさんが「お参りツアーに参加しようと思うけどもし合わなければすぐやめるつもり」と手紙をくれた時、たまたま持っていた「絵文字般若心経てぬぐい」を同封して素直に激励することができました。3年前の話です。

やがてコウさんは四国の魅力に取り付かれたようで初回あっさり満願(88ヶ所全部お参り)し2周目にオウさん誘い2人して満願、3周目の現在ひきつづき2人「歩き遍路」に挑んでいるのです。2人はそろって看護師を全うされた人達、辛抱強いし絆も固いのでしょう。

日ごろからの体力づくりと自己管理は完璧な2人、それでも「夏遍路」はきついようです。
今回の8キロはまずまずだと思うのですが
前回(ひと月前)は厳しい暑さの上に「遍路ころがし」もあり、珍しく「きつかった」というメールでした。それも帰宅後数日たってからの報告で。(遍路ころがし:遍路もころがるほど険しい:難所の意)

次回(来月)からは秋、2人がすこし涼しくのどかにお参りできたらいいなあと
陰ながら思っています。

☆豆知識・・薬王寺は23番目の札所。今回でてきた「遍路ころがし」は20番:鶴林寺。いずれも徳島県のお寺。八十八番目のお寺まではまだまだ長い道のりです。

2009年8月21日金曜日

英語に聞こえる

昔、商品の裏側なんかに記載されている材料や成分表示を
英語っぽく聞こえるように音読して遊んでいました。
ごくごく一部で広がった遊びです。
同じことをしている人がここにも↓



みなさんもやってみませんか?
例)乳製品・ブドウ糖・果糖液糖・砂糖・安定剤・ペクチン・香料
ちなみにこれは「飲むヨーグルト」の記載です。

2009年8月20日木曜日

ジプシー気質 

来る10月より夫の職場が一つにきまりました。
今まで二つを行き来していたのでどちらにも通える中間地点、ここ平塚に住んでいるのですが一つに決まったとなるとその近くに住む方がこれから続く長い通勤期間、楽ではないかと思うのも確かです。平塚は気に入っているので住み続ける可能性のほうが高いのですが目下「引越ししようと思えば引越ししてもよい」環境ではあります。
実行するかしないかは別として、調べてみるだけでも楽しい。引越し大好きです。
のみならず転職も旅行も好き、とにかく環境を変えるのが大好き。
今はもうこの気質、開き直りましたが若い頃はそれなりの悩みでした。
引越しと旅行は経済的に限界があるのである回数に留まりますが、
お金のかからない転職の数は尋常ではありませんでした。
それもどこかで楽しんでいたりするのです。(たちが悪い、はた迷惑)
反面そんな自分が悩みの種でもあった私は占い師のところに行き聞いてみたことがあります。90年代当時の神戸は日本初占いブームの先頭でした。

「まだ合った仕事が見つかってないだけですか?それともただの飽き性だからですか?」
占い師はこう言いました。
「あなたは武士だったんですよ。前世で。大きな志をもっていたのに若くして命を落としてしまった(ええ~っ!)だから現世では『頑張ってても所詮、志は半ばに終わる』と思ってしまうんですよ」
別の占い師に見てもらうと急に笑い出されました。(何よ?)
「あなたの人生は遊びです。一生を通じて2年以上同じ環境にいることはありません」
後者の占い師の言った事は当たっているような気がします。前者は調べもつきませんけどね。

 そんなある時私は「精神・神経・心療内科」と看板にあるクリニックの受付の仕事を得ました。私の転職に対する唯一のこだわりはどんなに回数を重ねたところで「一度もやったことのない仕事に就く」です。

さてそのクリニックの女性院長のある日の朝礼の何気ない話は先述の2人の占い師よりずいぶん説得力がありました。
「10人に1人位の割合かしらね、DNAの線がところどころ突出して長い人がいるのよ、こういうDNAを持つ人達の特徴として同じ環境にいることが不安・苦痛なんです、引越しやら転職が好きで・・・」
黙って聞いていた私、体中に電流でも走ったような気分になりました。そうなのよ~
そういう答えよ~。この話を聞いた時のスッキリした気持ちは今も忘れはしません。この時を境にこの性分・気質は致し方ないことだと思うようになりました。私のせいじゃない、DNAのなせる業・・・。

余談ながらこの院長は現在70歳超えて今尚現役のご様子。
今でこそ、これらの科は注目を浴びていますが昔、女性一人がこういう看板を出したところで
ほとんど人が来なかった時代が長いこと続いたそうです。
そんな人にあこがれます、どんなに苦しくて信じた道はひとつという人。
私はとうとうそういう感覚に縁がありませんでした。

来世ではそうありたいと切に思います。

2009年8月19日水曜日

3年ぶりの読書「利休にたずねよ」

夫の実家に「利休にたずねよ」という本がひょいとおいてありました。山本兼一という人の著書でこれで直木賞をとったんだよと帯にありました。3年ぶりの読書でした。これも何かの縁、と開いてみましたら最後、一行一行先を急ぎたい面白さがあり、滞在期間最終日まで駆使して全部読んで来ました。

この本はとても効果音が豊富。心情とか状況説明とか長くなりそうな時パッといろんな音が出てきます。活字で音なき音を読むのは楽しいもんだなあと思いました。

中でも一番よく登場するのが茶室で沸くお湯の音。時にグツグツ荒っぽかったりコトコト穏やかだったり。茶の湯をやったことがないのでこのへんは予想できても実感ができないのが残念でした。そこそこ茶道をしている人はもっと楽しめる本かもしれません。

秀吉の怒りを買って利休は切腹させられるのですがその直前のシーンから話が始まり、切腹のひと月前、ふた月前、一年前と時期がさかのぼった各章があり、19歳の利休までさかのぼってから最終章で絶命です。

この人「ややこしいおっちゃんや~」というのが率直な感想です。心ならずでも早々に謝れば命はほぼ確実に救われたようです。秀吉の側近にも利休の弟子がいて、そういった人達が形だけでも謝罪するようにと切に望むシーンが何度かありました。
時代小説を読んでいると「死んだほうがまし」を実行するシーンがよく出てきます。
日本独特のこういう考え方を最初に思いつき、影響させた人は罪だといつも思います。

日常では小皿の上の漬物の位置までこだわって奥さんをストレスに追い込んで、それも一切口に出さずそう思っているというのがイヤラシイ。茶道具を置く位置は畳のひと目単位で美意識があるらしい。二畳や一畳半の茶室に複数人招く。トイレより狭くないかい?でもみんな利休のきめ細かい工夫に触れ極上のひと時を過ごす、とあります。このあたりの感覚が茶道してない私にはわかりませんが予想だけで読み進めるのもこれまた一興というところでしょうか。

この一冊、有意義な一期一会でございました。

2009年8月18日火曜日

車帰省族に属して思うこと

盆暮れ正月&ゴールデンウィーク、
毎度毎度報道される日本の風景
帰省&Uターンラッシュの実況中継
ヘリコプターから高見の見物
5年前までそれを見ながらグウタラしてたのは
どこの誰だい?私だよッ。

のちの自分がこの渋滞に加わることになる
とはゆめゆめ思いません。
「うわっ、こんな渋滞私は絶対イヤや」
「そんなに実家に帰りたいのか?」
「満員の新幹線とどっちが楽やろ?」
「トイレ行きたくなったらどうするんやろ?」
「もっと近くに住んだら問題ないのになあ」
etc...とにかく独身の気楽さ、対岸の火事ですから。
車帰省族の感想を聞く機会もないまま
2004年までは平穏な暮らしをしておりました(大げさ)

さてそんな私が今日まさかの車帰省族に属して思う意外なこと
それは「案外楽しい」ということです。

レジャー中の渋滞ならせっかくの旅路が台無しだと
気分がめいるのかもしれませんが
帰省の場合ゴールは実家、ただ家に帰るだけのこと。
やれ宿入りが遅れるだの、計画が変わるだの
あれこれ気をもまなくていい気楽さは大きいです。

渋滞はないに越したことありませんが
車内では普段聞かない音楽をじっくり聞いたり
休憩中ご当地グルメを楽しんだり
各地のお土産見たり結構楽しめます。

また、確かに長丁場ですが
オカで感じる時間の流れとはあきらかにちがっています。
家で何もしない10時間って皆様の知るとおりですが
前進あるのみの10時間は退屈しません。
停まったままの電車にいるのは5分でも退屈ですが
走行している5分は難なき事。

子供はまだまだウダウダややこしい時期ですし
新幹線で他人様と同行の3時間+αより
個室で帰れる10時間の方がなんぼか気楽。
あと渋滞情報収集をマメにしていたら(←夫はね)
結構避けられるのも事実です。

みんな甘んじて渋滞を受け入れ、それなりの時間を楽しんでいる
今の私にはそう見えます。
もちろん個々数知れぬ密室内にはのっぴきならないドラマもあるでしょうし
私自身、以上書いたように気楽に行かない回も今後あると思いますが
ヘリからの実況中継だけでは
知りえない現場感覚を少しお伝えいたしました。

これを読んで下さっている皆様にも
私のように他人事ではなくなる日がくるかも
しれませんよ~。

2009年8月17日月曜日

ただいま~

昨夜8時半ごろこちらに戻ってまいりました。
自宅なのによその宿泊施設にでもいるような昨夜でしたが
今日は近所のスーパーなんか行って感覚を
とりもどしました。
明日からしばらく帰省報告をさせていただきますね。