2010年1月23日土曜日

適応障害の話 

私はスランプに陥ってもそれをフォローしてくれるような環境にめぐまれいるという点でとてもラッキーに今までやってきたように思います。独身を終え結婚、まではまだよかったのですが心身とられる「育児」がはじまった頃「欝をともなう適応障害」という診断が下りました。それまでいかに自分が自由だったかを思い知ったわけです。ともあれ夫も協力的ですしこの症状を緩和するべく心療内科が徒歩5分くらいの所にありそこの先生も好人物、時間&経済的に通院可能なことをとてもありがたく思います。
おもいおこせば・・・環境変化に対する拒否反応は早いうちからあったのかもしれません。
結婚してこちらにやってきた初日、料理は好きなのでそれは楽しんでできましたが、翌日自分の洗濯物と夫の洗濯物が脱衣所に登場、翌日はその倍量、翌々日には3倍に増えていました。ごみも同様に増えていき、床も謎のつぶつぶなどで汚れ始め水周りもツヤがなくなり、そうなって初めて「え?これ誰が復活させるの?そうか、私か」と自問自答、嫌々実行に移し「え、これ一生?」となり「ひ~これが結婚?主婦?」とクラクラしたのでした。
家にいるのも退屈で一人、見知らぬ土地のあちこちを散策に行きました。これは楽しかったです。常夏だと思っていた茅ヶ崎はそのとき秋、そして鎌倉、江ノ島、戸塚、横浜。

「主婦」については表面的なことはだいたいわかっていましたがいざわが身にふりかかった時の自分の往生際の悪いこと。やがて散策にも飽き、近所のショッピングモールのカフェでパートし始めました。仕事仲間にもめぐまれ地元情報も仕入れられとてもいい気分転換でした。でもその職探しをする時だってそう。最初は横浜中華街のとある興味深い店が求人していたので瞬間、応募しようとしばらくその貼り紙を眺めていたものの「ん?、そうだあの家事の数々を考えるとここまで通うのはきついなあ、もっと近い方がいいか」・・・仕事内容やら勤務場所に妥協や変更を加えるのは私にとってそれが初めての話「そうか、これが結婚して家庭を持つ」ということなのかと遅~い実感をしたのです、結婚2ヶ月目あたりだったかな。
やがて掃除機のごみ袋が一杯になりその処理一部始終について夫に聞いた時「ひょっとしてお嬢様だった?」ときかれました。「掃除機に関してはね」です。しかしまた同じ質問をされ今度は「洗濯機に関してはね」と答えたりもした、もはやそれは5年あまり前の話。

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